尾崎放哉について

種田山頭火とよく比較される尾崎放哉。
季語がなく五七五にはまらない自由律俳句は彼らが世に広めたといっても過言ではないでしょう。

山頭火に比べると地味な存在の放哉ですが、山頭火の作風、人生に大きな影響を与えたといわれています。
事実、山頭火が行乞の旅に出たのは放哉の死後わずか数日のことでした。
ちなみに二人が出会ったことはありません。

放哉は東京帝大卒業という輝かしい経歴を持ち、エリートコースを歩むと思いきや、酒に溺れドロップアウトを繰り返します。

仕事の最後のつても裏切る結果となって以降、句作に打ち込み、生涯を終えました。

おそらく放哉は今でいうパーソナリティ障害だったのではないかと思います。
近しい人と揉め事を起こす、プライドが高くそれを鼻にかけ人に頭を下げられないなどなど…
偏屈であまり著名な作家らしくない人柄だなーと感じます(今となれば…)。

そんな放哉に私はなぜか共感するところがあります。
同郷のせいか、エリートコースを外れ転がるように堕していった人間的な一面か、それとも破滅的に生きざるをえなかった彼の人生か。

辞世の句、「春の山のうしろから烟が出だした」
近づく死を前に、自分の火葬を思い描いた、というのは少し考えすぎでしょうか。
だとしたら、いったいどんな気持ちで。